老親と700キロ離れた一人っ子に起きたリアル(莉音)

一人っ子、遠方の両親が同時に倒れた。終末期医療・介護・死後事務・成年後見・「負」動産処分など。精神面や金銭面の話も書いていきます。時々脱線。どなたかの心に届きますように…

悲劇の連鎖 - 父の病気、母の死、そして納骨の旅

#27

困難な状況下での病院交渉 - 老親と700キロ離れた一人っ子に起きたリアル(莉音) (hatenablog.com)
prodigykerokero.hatenablog.com

このブログの続きです。

A市に住んでいた両親。
父が倒れたのが、ある年の11月1日。
母が倒れたのが、11月5日夜。私がB市へ戻ろうとしていた前夜。
母が亡くなったのが、11月8日深夜。通夜が10日、告別式が11日。
もちろん父は当時意識不明だったので母の死は知らない。

A市からB市への父の搬送、
母の納骨は、B市より更に離れたC市へ。

効率的にこれらが行える日程を
転院先の病院との調整含めて、
A市の病院のソーシャルワーカーSさんが
私の様々な事情を勘案して考えてくださっていた。
勿論父が長時間の搬送に耐えられる病状なのかも看ながら。

この年の手帳をみると、こうある。
12月8日、母の四十九日の法要。
これはA市の葬儀場にお坊さんを呼んで行った。
その後、ゆうパックで母のお骨をC市の寺に送った。
骨壺、重くて運べない - 老親と700キロ離れた一人っ子に起きたリアル(莉音) (hatenablog.com)
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12月13日
朝6時、父のストレッチャーを乗せた介護タクシー
A市の大病院を出発。
私の住むB市の病院へ父搬送。

私も介護タクシーに同乗しても良いと言われたが、
流石に12時間車に乗るのはトイレも近いし、
体力が持つか不安だったので
電車で移動。
私の移動交通費負担を軽くするための
ソーシャルワーカーSさんからのご提案だったが、
体力の温存を優先した。

12月15日
朝、B市の自宅からC市へ出発。
午後2時からC市の寺で母の納骨。
お骨は無事に届いていた。

12月16日
C市で親戚にあいさつ。
その後B市へ帰宅。

このような日程で動いていたようだ。

搬送する前に、父には母の死を告げた。
もう隠せなくなったので。
この話はまたいつか。

あらかじめソーシャルワーカーのSさんには、
12/15にC市へ納骨に行きますと告げてあったため、
移動が効率的に出来るように、転院を調整してくださったのだ。

しかし、これをB市の自宅にいる夫に電話で告げたときに、
またもや暴言を吐かれるのである。

月に50万、ずっと払えますか?

#26 

続きです。

Y病院に父が運ばれた。
(病院の名前とアルファベットは無関係です)
私は別室で契約書、誓約書のようなものにサインをしていた。

前の病院と同じような事が書かれていたが・・・

「3か月後には、個室に移る事」

えっ!
こんなの事前の面接で聞いてない。
しかし、しかしだ。ここでこの書類に私がサインしないと、
父は入院できない。

数時間ごとに、気管切開した穴から吸痰したり、
胃ろうで栄養を与えたりしないと、
命が途絶えてしまう。

どうしよう・・・

一旦サインはすることにした。

三か月以上入院させていたら、病院が赤字になるのだろう。
医療の仕組みから考えて、病院経営の観点からも、
仕方のないケースもあるのだろう。

個室といっても1日1万はかかる。
ということは、医療費が
いきなり月に50万弱!

こんなの突然、ポンと払える人って
一体何人いるのか?

看護師に確認したら、
「はい、3か月たったら個室に移って頂きます。
皆さん、それまでに転院先を見つける方が多いです」と
シャーシャーいうではないか!
事前に言えよ!後出しジャンケンである。

遠くの地方都市に住む
親戚の看護師に電話してみた。
「あー、これは都会の病院のやりかたよ。
東京とかでは払える人がいるから」

ここは地方都市である。

事前に面談したY病院の事務長にまずメールしてみた。
この事務長、私の友人と仕事上繋がりがある人でもある。
面談にはその友人も同席していた。

後日、事務長から電話。

「そんな事は、看護師もスタッフも一言も言ってません。
そんなルールはございません」

ふざけないでいただきたい!
他にもこの病院には
本来患者負担ではないものを負担させる、
(医療関係者や診療報酬事務に詳しい方にも確認してもらった)
ベッドサイドの棚を使うだけで一日500円

父の病名などを間違えてカルテに記録、
受付の態度が最悪、などなど
多くの不信感が。

今後、転院先を探す面談でソーシャルワーカーと話すことになったが、
誰も信用できないので、
ボイスレコーダーを持参することにした。

私は地元出身ではないから、
このブラックぶりを知らなかっただけだろうか?
いや、入院させてみないとわからない事が沢山あった。

後で知ったことだが、
医療職の派遣会社でも
「この病院はちょっとね・・・」と評判は芳しくないようだ。

今は、改革がなされていて
良い病院に変わっていることを祈るばかりだが・・・

転院を試みたが・・・

#25  

ここで小休止。
父を700キロ離れたB市の病院へどのように搬送したかは
また書くことにする。

さて、父を最初に受け入れてくれた
B市のX病院。
理事長もとても良い方。
看護師さんやソーシャルワーカーの方にも、
よくして頂いた。

本院から少し離れた場所に、
長期で入院できる療養病床もあったので、
ここにお世話になりたかったのだが・・・・

自宅からの遠さに負けた。
自宅からも、職場(パートでしたが)からも
1時間以上かかる。
病院近くまで行くバスは1日数本、
病院から徒歩15分の所にあるバス停に停まるバスは
1時間に4本くらいはあったが、
片道400円、往復800円。
JRも本数が少なく、最寄駅からも徒歩30分。

父には私しかいない、
父が生きていてくれることが
当時、唯一の私の心の支え
だって家に帰れば暴言ばかり吐く人がいたから。

だから、なるべく毎日、
寝たきりで話も出来ない父の元に通い
父に話しかけたり、囲碁YouTubeを見せていた。
なぜか心安らぐ時間であった。

しかし流石に疲れる。
少しでも近い病院へと転院を試みた。

近いと言っても、
自宅からは、バスに乗って1時間ほどはかかっていたが、
容体が急変したときには、夜中でも
自宅からタクシーで駆けつけられない距離ではなかった。
それが利点だった。

ところが、転院した病院、
Y病院とする
(ローマ字と実際の病院名とは関係ありません)

ここで、
まさに父が運ばれて、入院しようとしているときに
信じられない事を言われる。
事前の面接では、全く触れられなかったことが、
後出しジャンケンのように。
そして、それは一種の脅しのようにも感じられた。

困難な状況下での病院交渉

#24

こんな時に、最初から否定や非難で
きつい口調で追い立てられるのは辛すぎる。

「うちの近所の大病院では、受け入れて貰えないのか?
ほら、今から電話しろ!」と
脅すように言われた。

言うだけでなく、もう彼は
私の両親が住んでいたマンションの部屋にある
固定電話のプッシュホンで
その大病院の番号を押していた。

受話器が私の耳に無理やりくっつけられた。
呼び出し音が鳴っている。

私が状況を手短に説明する。

「こういうことは病院間での交渉となります。
個人の要望は受け付けておりません」

そりゃそうだ。

しかし彼は納得しない。

私は父が入院しているA市の総合病院のソーシャルワーカー
お手数ですが・・・とお願いしてみた。

B市にある、うちの近所の大病院へ電話して、
そこには父のような患者が長期間入院できる
療養病床は無い事を確認して欲しいと。

電話してもらう。案の定、そのような病床はないとのこと。

医療関係者には常識かもしれないが、
通常、急性期病院には
父のような患者が長期で入院出来る療養病床があるところは
特に同じ建物の中にあるところは非常に少ない。

夫には、ソーシャルワーカーの○○さんに電話で確認してもらった、
と告げて納得してもらう。

他にもやる事は山のようにあるのに
こんなことで感情が負の方向に更に揺さぶられるとは・・・

そんなことより
父の状態が安定した時点で私の住むB市へ搬送
その手段、日程
母の四十九日の法要後
C市の寺を訪れて、納骨をする日程

いかに
A市→B市→C市への移動を効率的に行うか
頭の痛いところであった。

大病院では無理?

#23

11月初めに父が倒れたとの知らせで
700キロ離れたA市に駆けつけた。
父が死ぬのだと思って。

しかし、母が急死してしまった。
私の誕生日の夜、
私がB市へ戻ろうとしていた前夜に倒れて。

その後、
父はまだ寝たきり、半身まひ。
意識は戻ったが話は出来ない。
こちらの言っている事は何となくわかっているようだが。
食事は鼻からの管で流動食。

母が死んだことは、まだ知らない・・・
まだ言えない。
「お母さんは、今は来れないんだよ・・・」と
涙をこらえて言うのが精一杯だった。

間もなく師走になろうとしていた。

そんな時、Eさんから
「安心してB市に帰っておいで」という連絡が。

父を受け入れてくれる病院を、
コネクションを活用して見つけてくれたのだ。

しかし、またも夫が黙っていなかった・・・

「X病院、遠いぞ!やめとけ。大丈夫なのか?」
まずは脅すような口調で言われる。

「父のような患者を受け入れてくれる病院は
なかなか見つからないの。
Eさんによると、
まずはX病院に搬送して、それから、
これからの事を考えればいいよって。
X病院には長期で入院できる療養型の病床もあるし。

仮に施設とかに入るにしても、
まずは病院で検査を受けてからじゃないとダメなんだって。
だから遠くてもまずはここに父を搬送したい」

と言っても聞く耳を持たない。

彼も当時は、社会での居場所がなく、辛い状態だったのはわかる。

あとで知った事だが、
そんなとき、
特に社会で生きる事を性としている男性というのは
身近な女性に攻撃性を発揮するのだそうだ。

不満や不安、嫉妬・・・といった感情を受け入れられず、
マイナスのエネルギーを発散させる場もなく、

このエネルギーの黒い塊から飛び出す
何本もの導火線に順々に火が付き
身近で弱そうな女性に向けられることが多いらしい。

こんな時に、最初から否定や非難で入られるのは辛すぎる。

「うちの近所の大病院では、受け入れて貰えないのか?
ほら、今から電話しろ!」と
脅すように言われた。

言うだけでなく、もう彼は固定電話のプッシュホンで
その大病院の番号を押していた。

受話器が私の耳に無理やりくっつけられた。
呼び出し音が鳴っている。

母の植物に寄り添う音~優しさと思い出 #感動

#22

朝方、亡き母の夢を見た。
あっ、今日は母が生きていたら89歳の誕生日だ。

さて、母の死後、再び親の住んでいたA市のマンションに戻った。
主の居ないマンションに戻る事程
さみしい事はない。

朝起きると、まずベランダで母が育てていた植物に水をやる。
キュルキュルキュル~という土が水を飲みこむ音が忘れられない。

ああ、この音を母も毎朝聞いていたんだなと。
当時は、この音だけが、
私に優しく寄り添ってくれる気がした。

悲しみはどんどん後からやってくる。
お悔みの手紙や電話、そして香典やお供えが送られてくるたびに、
お礼の電話をしたりや手紙を書く、そしてお返しの品を送る・・・

こんな時、仲の良いきょうだいがいて、
悲しみを分かち合えたらどんなにいいだろう。

親の家の片づけも賃貸マンションなので期限を決めてやらないと
大変な事になる。
これも一筋縄ではいかなかった。

思い出すだけで、吐き気がするが、
私の絶望が、誰かの希望や教訓になればいいなぁと思うので、
またの機会に書いてみたい。

父の状態は搬送出来るほどに落ち着くのか?
700キロ離れた場所に搬送する手段は?

父のような寝たきりで医療依存度が高い患者を
長期で受け入れてくれる病院はB市にあるのか?

ちょっと失礼かもしれないが、
遠くはなれたA市の病院のソーシャルワーカーが、
果たしてB市の事情がどこまで把握できるのか?

お金はどれくらいかかるのか?
(財産はほとんどありません)

父に母の死を、いつ、どうやって告げればいいのか?
B市よりも、もっと遠いC市への母の納骨はいつやるのか?

もう11月も終わりを告げようとしていた。

そんな時、Eさんから
「安心してB市に帰っておいで」という連絡が。

父を受け入れてくれる病院を、
コネクションを最大限に利用して見つけてくれたのだ。
しかし、またもや夫が黙っていなかった・・・

介護の現実:病院選びと搬送の壁

#21

病院の種類って医療関係者以外には案外知られていないものだ。

私の住むB市で用事を済ませたあと、
またA市の親のマンションに戻った。
母の葬儀からもう10日が経っていた。

手帳によると、午前中にB市を出て、
A市には午後3時前に着いた。
その足で年金事務所、そして父の病院へ。
父、泣く、手を振る・・・とメモにある。
泣いたのは私かもしれない。
母の死を隠しながら病院に行くのは辛かったから。

この時はまだ、
父は片方の手を動かすくらいは出来たのだ・・・
半身は麻痺していたのだけど。

母の死後の手続きをこなしながら、
父の入院する病院のソーシャルワーカーとも話をしていた。

「こちらA市では、
お父様のような状態の患者さんを
長期で受け入れてくれる病院は限られています。
あったとしても、かなり郊外の病院になります」

そんな・・・

「娘さんの住むB市の病院へとなると、
B市の病院事情がどうなっているのかという問題もありますし、
それよりもお父様が700キロもの長距離の搬送に耐えられるか?
搬送できる状態にまで病状が落ち着くか、という問題もありますね」

私がこちらに長期滞在しなくてはいけないのだろうか?
いや、それは無理。
では、B市に搬送するしかない。
病状が落ち着くことを祈るしかない。

しかし、この病院のソーシャルワーカーは、
B市の病院事情に詳しいわけではない。
その前に、搬送って、どうやるのか?
お金も凄くかかりそう・・・

全く見当がつかず、不安がつのるばかりであった。