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困難な状況下での病院交渉 - 老親と700キロ離れた一人っ子に起きたリアル(莉音) (hatenablog.com)
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このブログの続きです。
A市に住んでいた両親。
父が倒れたのが、ある年の11月1日。
母が倒れたのが、11月5日夜。私がB市へ戻ろうとしていた前夜。
母が亡くなったのが、11月8日深夜。通夜が10日、告別式が11日。
もちろん父は当時意識不明だったので母の死は知らない。
A市からB市への父の搬送、
母の納骨は、B市より更に離れたC市へ。
効率的にこれらが行える日程を
転院先の病院との調整含めて、
A市の病院のソーシャルワーカーSさんが
私の様々な事情を勘案して考えてくださっていた。
勿論父が長時間の搬送に耐えられる病状なのかも看ながら。
この年の手帳をみると、こうある。
12月8日、母の四十九日の法要。
これはA市の葬儀場にお坊さんを呼んで行った。
その後、ゆうパックで母のお骨をC市の寺に送った。
骨壺、重くて運べない - 老親と700キロ離れた一人っ子に起きたリアル(莉音) (hatenablog.com)
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12月13日
朝6時、父のストレッチャーを乗せた介護タクシーが
A市の大病院を出発。
私の住むB市の病院へ父搬送。
私も介護タクシーに同乗しても良いと言われたが、
流石に12時間車に乗るのはトイレも近いし、
体力が持つか不安だったので
電車で移動。
私の移動交通費負担を軽くするための
ソーシャルワーカーSさんからのご提案だったが、
体力の温存を優先した。
12月15日
朝、B市の自宅からC市へ出発。
午後2時からC市の寺で母の納骨。
お骨は無事に届いていた。
12月16日
C市で親戚にあいさつ。
その後B市へ帰宅。
このような日程で動いていたようだ。
搬送する前に、父には母の死を告げた。
もう隠せなくなったので。
この話はまたいつか。
あらかじめソーシャルワーカーのSさんには、
12/15にC市へ納骨に行きますと告げてあったため、
移動が効率的に出来るように、転院を調整してくださったのだ。
しかし、これをB市の自宅にいる夫に電話で告げたときに、
またもや暴言を吐かれるのである。