400枚もの年賀状、どうしよう…私が真っ先にやったことは・・・
#111 400枚もの年賀状、どうしよう・・・
久しぶりの更新となります
専門職後見人に就いた弁護士の話
それに絡むC市に祖父が残した「負動産」の話
・・・色々と書きたいことはありますが
正月に関連して思い出したことを
生前、両親には400枚ほどの年賀状が届いていました
自営業だったりしたわけではないのですが
母は、私が幼いころはC市で小学校の教員をしており
当時の教え子からの年賀状が大量に
また地域の青少年関係や学校関係のボランティアをしていたので
その関連の方からも沢山の年賀状が
ちょっと想像してみて欲しい
父が倒れたのが2017年の11月1日
私が両親の住むA市に
約700キロ離れたB市から駆けつけたのが11月2日
私も仕事があったので一旦B市に戻ろうとしていた前夜
つまり11月5日(私の誕生日)の夜に母が倒れたのです
そして3日後の11月8日に母が急逝
父は寝たきりで身体は麻痺
言葉を発する事も食事もできない状態
B市への搬送に耐えられるほど状態が安定するのか?
その時点では不明・・・とても悲しくて不安でした
時は、まもなく年末12月
「普通の」家庭なら喪中はがきどうしよう?となるでしょうね
とてもじゃないが、当時、そんなことを考える余裕は全くなかった
父の事をどうすればよいのかという不安との闘い
そして母の死後事務
人が死んだら108の手続きがあると言われているのですから
それをA市とB市、700キロの距離を往復しながら
たった一人でこなさないといけないのですから
悲しみと不安と
モラハラが当時酷く寄り添う気持ちも全く感じられない
更に当時無職だった配偶者への恐怖
様々なものと一人で闘っていました
私の母が逝去、喪中となります
通常2親等までは喪中ということらしいので
当然、私たち夫婦も喪中となる
(なんと、夫はそれを無視して年賀状を出していたという・・・
世の中には「寒中見舞い」というものがあるのに
全く寄り添う気持ちも何もあったもんじゃない!)
私自身も、私が年賀状を出している皆様に
喪中はがきを出す余裕なんて全くなかったので
母の逝去を知らない人からの年賀状には
返信として寒中見舞いを出しましたよ
父宛にも年賀状が来るわけですが
父が直接
それを受け取って読むことも、もちろん返事も書けません
さて、どうしよう・・・
私がまずやったことは
郵便物の転送届
A市の親のマンションに届く郵便物は
全て私の住むB市の住所に転送してもらう手続きをとりました
DMなど郵便局経由以外で届くものもポストには溜まります
私が親のマンションからしばらく離れる際には
近所に住む母の友人に、それらの処分をお願いしました
(ポストを開ける暗証番号をきいておくことは地味な事ですが大切!)
そして両親の家に届いた年賀状の差出人住所へ
寒中見舞いを兼ねて「挨拶状」として出すことに
文面は、2017年の11月に起きたことのご報告
母がお世話になった事のお礼
父は寝たきりになったが
B市へ介護タクシーで11時間かけて搬送したこと・・・
そして私の連絡先
途方にくれましたよ
件数が多くて
これ住所録をPCで作ってもよかったかも知れませんが
PCへ打ち込む、そして印刷する手間と
手書きでサクッと書く手間を考えた上で
私は後者を選びました
誰かに宛名書きのバイトを頼もうかと思ったくらい
でもね、私が全部宛名は書きました
その後、沢山の方から
香典やお供えの品
そしてお手紙やお電話も頂きました
香典やお供えを頂いた方には
何件か纏まった時点で
デパートから香典返しを送りました
ネットでサクッとやってもよかったかも知れませんが
そこは年配の方も多いので
老舗デパートから直接送りましたよ
細かい融通も利かせて貰えますからね
これも悲しみを受け入れるための試練なのでしょう
また故人の供養にもなるのでしょう
父はまだその時点では生きていましたが
年賀状を受け取れる状態ではなかったので
父の知り合いからの電話やはがきには私が対応
これも親孝行となったと思いたい
きょうだいが居たら居たで問題は起こるのでしょう
しかし
「一人っ子が一番辛いのは
親の死に一人で向き合わないといけないことだよ」という
人生の先輩の言葉は本当でした
天涯孤独になった今
もう私も先は長くはないと思っていますが
魂がとても寂しいです
本当に寂しいです
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