老親と700キロ離れた一人っ子に起きたリアル(莉音)

一人っ子、遠方の両親が同時に倒れた。終末期医療・介護・死後事務・成年後見・「負」動産処分など。精神面や金銭面の話も書いていきます。時々脱線。どなたかの心に届きますように…

他人を非難する事と自己の無力

#33

両親の住んでいたマンションは賃貸。
早く空っぽにしないと家賃だけがかかる。

母は生前、青少年育成会関係のボランティアや
小中学校のカウンセラー(おそらくボランティア)
その他、有償無償のボランティアをやっていた。

これらをやりながら、
有償のボランティアで得た
わずかなお金を父の通院代に充てながら、
身体の不自由な父を介助しながら
懸命に生きていた。

人の為に・・・と動く人。
こんなに他人に優しく思いやりのある、
更に頭の切れる人を私は知らない。

母の事を、みなさんこうおっしゃる。

何を聞いても、的確な答えが返ってくる。
年配の方だが、考え方が古いとは全く思わなかった。
お母さんが居なくなると困る人は沢山居ると思う。

娘としては、色々と思う事もある、勿論。

こんな生活をしていたから、
家がホテルのように片付いているというのは無理な話。
普通に生活するだけで精一杯。

戦争を経験している、しかも
外地から
着の身着のまま、ゼロの状態で引き揚げてきた。
物がない時代に生きた人、
物が捨てられないのだ。

「この洋服、着ないなら捨てなよ」
何度私が言った事か。

「もう一度、誰かの役に立ってから捨てたらいいと思うのよ」
と、母らしい言葉。

高齢になると、片付けるという行為が苦痛になるのだと思う。
精神的にも、肉体的にも。
そんな気持ちが沸きあがってこない、
気力もなくなるのだと思う。

もちろん個人差はある。
この個人差と言うのが厄介。

配偶者の母親は、
片付け命みたいな人。料理は苦手。
それを「標準」と思う人は、
母も、私の事も

般若のような顔で
「許さんぞ!」と攻撃してきた。
沢山の汚い言葉で非難もされた。

何も知らないくせに!
何も理解しようとしないくせに!

人って、他人を批判、非難しているときは、
自分を非難しなくてもよいのだ。

そう、自分の無力を非難したい人間が
他人を、度を越した程度で非難、
いや攻撃するのだ。

近い人を極度に非難することは、
自分の無力を非難しているのと同じことなのである。