老親と700キロ離れた一人っ子に起きたリアル(莉音)

一人っ子、遠方の両親が同時に倒れた。終末期医療・介護・死後事務・成年後見・「負」動産処分など。精神面や金銭面の話も書いていきます。時々脱線。どなたかの心に届きますように…

老老介護は綱渡り

#50 老老介護の恐ろしさ

ちょっと小休止。
老々介護について書いてみたくなった。

高齢の夫が妻を、
高齢の妻が夫を介護、介助するケースである。

周りを見ると
妻が夫を介助、介護しているケースが多いように思う。
夫が妻を、よりも。

また、「妻には逆らわないようにしている。
なぜなら、介護をしてもらえなくなると困るから」という
殿方の声も聞いたことがある。

両親とは
私が大学を出てから
ずっと離れて暮らしていた。
結婚後は転勤族の夫について
地方の田舎の街を含む全国転勤族。

両親ほぼ同時に倒れて、母が急逝
父が寝たきりになったときには、
夫が会社を早期退職していたので
転勤族は卒業していた。

つまり、このB市に定住が決まっていた。
よって、
「転勤になったらどうしよう。
寝たきりの父を、また動かさないといけないのか?」という
心配はなかった。

また、死後事務や介護看病などなどで大変な時期と
転勤が重なるという心配もなかった。
重なっていたら・・・と思うと、ゾッとする。
個人の事情などは全く配慮されない会社だったから。
単身赴任するにも、厳しい条件があり、

親の事で大変だから、というのは理由として
認められる会社ではなかった。
また、夫もそのような事を受け入れられる器がある人とは
考えられなかったから。

私とずっと離れて暮らしていた両親
父が骨折で入院したことは何度かあった。

また、たまたま転勤で、両親の住むA市に
私も住んでいた時には、
父も母も入院していた事もあった。
この時は近くに居てよかったと思った。
神様が、親の近くに転勤させてくれたのかも、
なんて思ったりもした。

両親ともに後期高齢者となり、
父の身体が動かなくなった。
着替えも一人では出来ない。
家の中で、間に合わなくて
粗相をしてしまうこともあった。
後始末が大変だった話は、母から何度か聞いた。

父を病院に連れて行くのも母。
母は、わずかな償金が得られることもあった
有償含め、無償のボランティア活動もしながら、
父の介助をしていた。

いわゆる老老介護、老老介助である。

今思えば、
父は、母が居なければ、生きていけなかった。
着替えもちゃんとできなかっただろう。
買い物に行って、簡単な食事を作って・・・なんて無理。
だから、もし
母が先に倒れてしまったら、
私が700キロ離れた土地から駆けつけるしかなかった。

今思えば、これも恐ろしい話だ。

いや、実際は、父が先に(といっても母が倒れる4日前に)倒れたが
母が一人で、病院へ通いながら
「普通に」生活できる保障は全くなかった。

あの日、私がB市へ戻ろうとしていた前の晩に
私の誕生日の夜に
母が倒れなかったら・・・・・・

やせ細った母を一人置いて
父の看病も任せて・・・
82歳の母が疲れ切って
倒れてしまうのも時間の問題だっただろう。

おそらく、私が2週間に一度くらい
700キロの道のりを通うしかなかったと思う。

そう考えたら、
私は母を孤独死させなくて済んだ・・・
この一点では、運がいい人なのかも知れない。

さて、老々介護のケースだが、
介護者が倒れるケースは十分に考えられるケースだ。
老々介護は綱渡り。

どうするのだろう。
近くに子供が何人か住んでいる場合は
まあ何とかなるだろう。

ご近所のコミュニティーが健全に機能している地域も
それなりの対応が出来るのかもしれない。
既に要介護認定が済んでおり
ヘルパーさんが定期的に来てくださる場合も
また違った対応がとられるのだろう。

倒れる前、父は
要支援2という判定だったようだ。
着替えには介助が必要、
その他の日常生活にも助けが必要だが
杖をつけば、何とか自分で歩ける状態ではあったので。

老夫婦だけで暮らしているケース。
子供が居ない、または居ても、遠くで暮らしている場合は
近親者ではなくても
何らかの形で、知り合いよりちょっと親しい繋がりを持ち
定期的に、
お茶飲んで世間話が出来るような関係性を築く

そんな緩いつながりがこれからは必要になるのかもしれない。

ネットの繋がり全盛だが
やはり面倒でもリアルで
人の温かさを感じながら
そんな関係が築ければよいと思うのだ。

世代が異なる人と交流するのは
イライラさせられることもあるだろう。
なかなか難しいものだ。

しかし、他人に寛容になる事が出来るか?という
人間としての器が試される。
ここでも、論破より互恵関係なのかもしれない。

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