老親と700キロ離れた一人っ子に起きたリアル(莉音)

一人っ子、遠方の両親が同時に倒れた。終末期医療・介護・死後事務・成年後見・「負」動産処分など。精神面や金銭面の話も書いていきます。時々脱線。どなたかの心に届きますように…

リアルな支えの意義

#49 やっぱりリアルでしか、限界時の心は満たされないのかもしれない

一番見せたくないところを見せないといけないのが
「家族」なのではないか。

いや、血のつながりはないけど
縁あって「家族」となったら
見ざるを得ないのが家族ではないだろうか。

それを見たくないがために
結婚前に興信所に頼んで
身元調査をする家もあると聞く。

が、しかし
完璧に、何も問題がない家というのは
ほとんどないと思う。
皆、何かしらの問題を抱えて生きている。
ただ、そこに心無い人々が存在しているか、
いないか。これが問題なのだと
今ならわかる。

寛容で思いやりのある
教養もあれば尚よいが

相手の事情を鑑みる心の余裕がある人達なのか?
と言う事までは興信所の調査では判明しない。

何の事情も理解しようとしないくせに
表面上だけの現象を見て
「許さんぞ」と
般若のような顔で刃を吐き出した
血のつながりのない身内。

これがどれだけ、悲しみに沈み
やる事が沢山あり混乱している相手を傷つけるか
説明をしてもわからないだろう。

見えている物が違う人間には
何を説明しても無駄なのだ。

「自分が正しい」
「自分の育った家が正義だ」と信じて疑わない
周りを見ようとしない
つまり寛容さが全くない人間は
相手の説明さえも受け入れない。
「言い訳だ」と称して。

そして更に
無意識に「論破」という言葉の武器で
相手を泣かせることが正義なのだろう。

論破ではなく
互恵関係
つまり
相手を批判、非難しつくすのではなく

どうすれば相手をなるべく傷つけずに
難題が解決に向けて前に進むような
良い関係が築けるか

こんな風に心の器を開けて構えておくことが
血のつながりがなく縁あって「家族」となった
人間たちに必要な事ではないだろうか。

ところで
親の家の片づけが、4~5年経っても終わらない・・・
という話をいくつか聞いたが
よくわかる話だ。

それほど、人が生き抜いた歴史を整理して
取捨選択して、片付けて、
家を空っぽにして・・・というのは大仕事であり

時に心を鬼にして、未練を断ち切り、
割り切って進めないと終わらない事なのだ。

私はもう心が限界だった。

母の従姉妹に、甘える事にした。
prodigykerokero.hatenablog.com

母は、一人っ子だったので
いとこ達とのつながりを大切にしていた。

遠くから来てくれて
私がいかに酷い事を配偶者から言われたか・・・
これも聞いてくれた。
母が残した大量の洋服をゴミ袋に詰めながら。

そして、父の病院にも一緒に行ってくれた。
当時はまだA市の大病院の脳外科に入院していたのだ。

この時、母の従姉妹に、
顔を合わせて話を聴いてもらったことの安心感よ。

ノン・バーバルでしか伝わらないことも
沢山あることがよくわかった。

対面で、相手が発した言葉以外の事
声のトーン、表情、ジェスチャー、声にならない相槌・・・
これらから感じられる
相手の温かさ、真心である。

デジタルの繋がりが全盛であるが、
やはり本当に困ったときに救いになるのは
リアルに人が目の前に現れて
手を差し伸べてくれることではないだろうか。

また、デジタルのコミュニケーションでは
誤解も生じやすいと経験上感じる。

勿論状況にもよる。
古い考えかもしれないが、
いつの時代にも変わらないであろう
普遍的な価値観というものを
大切に生きていきたい。

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