老親と700キロ離れた一人っ子に起きたリアル(莉音)

一人っ子、遠方の両親が同時に倒れた。終末期医療・介護・死後事務・成年後見・「負」動産処分など。精神面や金銭面の話も書いていきます。時々脱線。どなたかの心に届きますように…

寛容さを考える・最期まで寄り添ってくれた看護師さん・2

#57 寛容さを考える・最期まで寄り添ってくれた看護師さん・2

prodigykerokero.hatenablog.com
つづきです

眼を真っ赤にして泣きながら
看護師さんに
「すみません」と言われたのは

きっと
「私が早く連絡していれば、一人娘のお嬢様が
看取る事ができたのに・・・」という
「すみません」だったのかもと
父の葬儀後に気付いた

看護師さんは仕事なので
共感というよりも
相手の立場に立って物事を考える・・・
こちらが優先されているのかも
「看取りたかっただろうな」という

この「相手の立場に立つ」というのは
ASD傾向が強い人には非常に難しいことであるが
もちろんこの看護師さんはASDではないのだろう

思考が感情を作るので
やっぱり普段から相手の立場に立つ思考が
自然に身についているのだろう。

終末期医療の現場、療養病床で働く看護師さんたち
医療の知識や技能だけでは
なかなか務まらないのではないのだろうか

そのような印象を受けた出来事は
他にもいくつかあった

父が亡くなった日の夕方のことである

午後3時半ちょっと前に
「呼吸が止まりました」との連絡
その後数分後に
「お亡くなりになりました」との連絡

午後5時ごろに病院に到着
「お父さん、3年間もよくがんばったね。
ありがとう、ありがとう」
泣きながら父とのお別れをする

私は父が
「莉音、3年間もB市で看病をしてくれて
ありがとう。もういいよ。お父さんは
あの世に行くよ。
あとはあなたの人生をしっかり生きなさい」と

もう決して目を開けてくれない
穏やかな顔で
語りかけてくれている気がした

仕事のキリが良いタイミングで
こうなってくれたことにも
やっぱり最期まで親は子供の事を考えているのだと

「介護は親が最後に命懸けでやる子育て」
と言うのを聞いたことがある

両親同時に倒れて・・・というのを
一人で背負うのは
想像を絶する辛さだった

心にぽかーんと穴があいた
どう生きたらいいかわからない
もう本当に天涯孤独の身になってしまった
生きる気力を失った

そんな気持ちで
父と病床でお別れを済ませた後
「処置をしますのでいいですか」と
看護師に促されて別室で待つ

夕刻、5時過ぎ
おそらく少し前に
看護師さんのシフト勤務の交代時間
私は死後の処置が終わると
病室で父が使っていた備品を、毛布類などかさばる物も含めて
あらかじめ持ってきたボストンバッグや大きな手提げ袋に詰める

ああ、これでもうこの病院ともお別れ

午後7時ごろ
葬儀社が迎えに来た
私は、お世話になった医師と看護師に
お礼を言う

病院の裏口で待機していた葬儀社の車に
父の遺体とともに乗り込む

その時である
午後7時を過ぎているのに
療養病床の見慣れた沢山の看護師さんと医師が
見送ってくださっているではないか

この時間帯に、これだけたくさんの看護師さんを
見たことはない
おそらく日勤の方も残ってくださったのだろう

有難い、本当に有難い
この病院は、患者や患者家族に寄り添った
心のこもった看護がされているなと
感じていたが
最期までそうだった

日頃「人は人によってしか磨かれない」と感じていたが
これもそういう事かも知れない

私は知人のコネクションのある葬儀社で
そのまま打ち合わせに入るのであった

私はここB市の出身ではない
地元にコネクションのある人の紹介ということで
「もう母の時のように、ぼったくられないであろう」という安心感と

打ち合わせには一人で臨むので
変な事、こちらの感情を逆なですることを
葬儀社の人に突然言ってしまうような
アスペルガー傾向の配偶者が同席しないという
孤独ではあるが楽な気持ちで
打ち合わせに入る事ができた

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