老親と700キロ離れた一人っ子に起きたリアル(莉音)

一人っ子、遠方の両親が同時に倒れた。終末期医療・介護・死後事務・成年後見・「負」動産処分など。精神面や金銭面の話も書いていきます。時々脱線。どなたかの心に届きますように…

寛容さを考える・最期まで寄り添ってくれた看護師さん 1

#54 寛容さを考える・最期まで寄り添ってくれた看護師さん 1

前回のつづきです。
私の初回のブログの話、父を看取った日のお話です。
prodigykerokero.hatenablog.com


「あのぉ・・・何時にこちらに来られますか?」と
遠慮がちに看護師さんに聞かれる。

ああ、そうか
これから遺体の処置が始まるから
出来るだけ早く来て欲しいんだな。

こんな時、すぐに駆け付けられなかったら
ご遺体は病院で預かってくれるのだろうか?

父が亡くなったとの知らせを受けたのが
午後3時半ごろ。
この日は在宅で、
試験問題を何パターンも作成していた。

ちょうど、試験問題の作成が一段落ついたころだった。
このタイミング
親って最期まで子供の事を想ってくれているのだなと。

母の最期を看取る事が出来て
母が孤独死しなくて済んだのも
父が倒れたことによって
私をA市に呼んでくれたから。

「そうですね、午後5時ごろには
行けると思います」

職場には手が震えて
メールが打てない。
電話をすることにした。
「明日、明後日の授業は休みます」と。

病院へ向かうタクシーの中で
「もしご葬儀があれば、夜中でも早朝でもいいので
私に連絡してください」とお声がけ頂いていた方に連絡。
地元資本の葬儀社に出入りしている業者の方。

私は地元出身ではないので
このようなコネクションは非常に助かる。
A市での母の葬儀では
A市育ちの私であったが
現在はB市という離れた場所に住んでいたからか
足元をみられて
ぼったくられたことがあったから。
prodigykerokero.hatenablog.com


タクシーの運転手さん
「もしかして、お急ぎですか?」と。
ありがたいお声がけである。
私が葬儀の事を話しているのを聞いていたのだ。
このようなお声がけが出来る運転手さん
私は素晴らしいと思う(賛否両論ありそうだが)

夕刻、病院に駆け付けた私に
「すみません、すみません」と謝る看護師さん。
泣きはらした真っ赤な目をしていた。

知的で優しそうな雰囲気。
この看護師さん、私は好きだった。

父の妹が、遠くの県で亡くなった時
父にそのことを告げたら
父の顔が急にくしゃくしゃになった事があった。
明らかに動揺している。

こちらの言っていることはわかるのだ。
普段は全く表情を変えずにいたが、
母の死と、父の妹の死を告げた時だけ
顔が急に歪んだのだ。驚くほどに。

悲しいという感情は、脳の特別な部位を刺激するのだろうか。
脳出血で寝たきりになった父だが
悲しい話を聴き分ける脳の部位だけは活発に働き
それが父の表情を急に変化させたのか?

その時もこの看護師さんに思わず
「父の妹の死を告げて、よかったのか・・・
身体の状態に何か悪い影響はないのだろうか」と
悲しい気持ちを洩らしてしまった。
優しく寄り添ってくれた。

この看護師さんに
私はなぜ、今、謝られているのだろうか?
私は感謝の気持ちでいっぱいなのに。

父の葬儀が終わって
やっとわかった。

そうか、私が父の最期に間に合わず
看取る事が出来なかったからなのか・・・たぶんだけど。

「もっと早く連絡してあげていれば
たった一人の娘さんが、お父様を看取る事が出来たのに」という
すみませんの涙、だったのかも知れない。

なんと尊い仕事なのだろう。

相手に同感、つまり「私も~だ」と同感することは難しいが
「あなたは~なのね」と共感することは
相手をまず感情で好き嫌いのどちらかに分類せずに
「好きでも嫌いでもない」という箱に入れておく
そして受け入れるという寛容さがあれば出来るのだと
経験上は思う。

しかし仕事なので、共感というよりも
相手の立場に立って物事を考える・・・
こちらが優先されているのかも。
「看取りたかったのだろうな」という。

この「相手の立場に立つ」というのは
ASD傾向が強い人には非常に難しいことであるが
もちろんこの看護師さんはASDではないのだろう。

思考が感情を作るので
やっぱり普段から相手の立場に立つ思考が
自然に身についているのだろう。

終末期医療の現場、療養病床で働く看護師さんたち
医療の知識や技能だけでは
なかなか務まらないのではないのだろうか?

次回は、病院を最後に出た時の話を書こうかと思う。

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